甲斐姫

摂津国, 武蔵国

概説


武蔵国の生まれ。父は忍城城主・成田氏長。外祖母は妙印尼。

天下人・豊臣秀吉が小田原征伐を開始すると、父・氏長は北条方に与して小田原城に入った。忍城は一族で宿老の成田泰季が城代として任されることとなった。

泰季は籠城を決定し守りを固めたが直後に急死した。甲斐姫は氏長の妻と相談の上で、泰季の子・成田長親を城代とした。

豊臣方の総大将・石田三成は秀吉の指示により大規模な堤防を建設、忍城を水攻めにした。梅雨の時期だったため風雨で水位が一気に上昇し本丸が沈みそうになった。事態を挽回すべく成田勢は夜陰に紛れて堤防を決壊させると、水は豊臣勢へと襲いかかり大勢の死者を出した。

浅野長政が豊臣方の援軍として参戦すると、浅野勢は大手口から忍城を攻撃、本丸にまで押し寄せる勢いを見せたため城代・長親が出陣しようとしたが、甲斐姫はこれを制止し自身が出陣した。甲斐姫たち成田勢の奮戦により浅野勢は撃退された。

浅野・真田勢との持田口での戦いでは甲斐姫も出陣する程の激戦となった。このときの戦いで甲斐姫は三宅高繁という武将を弓矢で討取ったらしい。

小田原城開城後も成田勢は籠城を続けていたが、氏長の説得で長親は忍城を開城、甲斐姫や氏長の妻、妹たちは甲冑を身に着けた姿で城を出たという。

戦後、甲斐姫はその美貌と武勇から秀吉に気に入られ側室として召抱えられた。その後の動向は不明であるが、豊臣氏と成田氏のために活躍したと伝わっている。

 

コメント


甲斐姫は実在を疑われることもあるようですが、きっと成田氏のために大活躍した凄い人だったのだろうと私は思います(根拠無し)。甲斐姫に関する資料が今後出てくることを願っています。