島津 家久

薩摩国

概説


薩摩国の生まれ。島津貴久の四男。

耳川の戦いで豊後国の大友氏が衰退すると、九州の覇権は島津氏と肥前国の龍造寺氏との間で争われることとなった。龍造寺氏に圧迫されていた有馬晴信を救援するべく、家久を総大将とした島津軍は沖田畷と呼ばれる湿地帯に龍造寺軍を誘い込み、釣り野伏せと呼ばれる戦法で敵を混乱させて総大将の龍造寺隆信や、その一門・重臣などの多くを討ち取る大戦果を挙げた。

豊臣秀吉による島津征伐の先発隊が豊後国に上陸すると、これを迎え撃ち乱戦の末に敵将の長宗我部信親や十河存保などを討ち取り勝利を収めたが、戦後、病により急死した。

 

コメント


家久は戸次川の戦い後、干潮で出船できずにいた長宗我部元親に対して、満潮まで緩々と陣を解くように伝えています。これはまだ若い息子・信親を失った元親への配慮であったのだと思います。

イラストは、普段は恐いけど実は優しい所がある、クラスに一人はいそうな友達をイメージして描きました。