松前 慶広
(まつまえ よしひろ)
松前 慶広
投稿日:2017年 8月 22日

蝦夷地の大舘の生まれ。父・蠣崎季広とその従兄弟・基広との間で家督争いが起きた際に、慶広の長兄と次兄が毒殺されてしまっていたため、三男である慶広が蠣崎家を継ぐこととなった。豊臣秀吉による奥州仕置がはじまると、主家である安東氏の上洛に従った。このとき前田利家に取り入って秀吉に謁見し所領を安堵された。これによって安東氏からの独立を果たした。九戸政実の乱が起きるとアイヌを率いて討伐軍として参加し活躍した。秀吉から蝦夷での徴税を認められ全蝦夷地の支配権を獲得した。秀吉が死去すると徳川家康に臣従し、苗字を「松前」に改めた。家康からもアイヌとの独占交易を認められた。京で起きた猪熊事件により蝦夷に配流されてきた花山院忠長を賓客として厚く持成した。このときの交流が松前に京の公家文化をもたらすことに繋がった。

時代の流れを見極める力と、権力者にすり寄る力が非常に高かった人物なのだと思います。家康に、薬の材料としてオットセイを献上した逸話からも高いセンスの持ち主だったことが伺えます。