長宗我部 元親
(ちょうそかべ もとちか)
長宗我部 元親
投稿日:2017年 8月 19日

土佐の国に生まれる。幼少時の元親は大人しい性格で、また長身かつ色白だったため姫若子(ひめわこ)とからかわれていたらしい。同じ土佐国人の本山氏を攻めた長浜の戦いが初陣で、このとき自ら槍を持って突撃し自身の武名を高めた。戦後すぐに父・国親が死去したため長宗我部氏の家督を継ぐ。一領具足(普段は農作業をしており、召集がかかると直ぐに戦場へ駆けつける半農半兵)を効果的に運用して本山氏、安芸氏、一条氏を破り土佐国統一を成し遂げた。正室の縁戚関係から織田信長と同盟を結び、伊予国、阿波国、讃岐国へと侵攻を始める。信長との戦いで衰退していた三好氏を破り阿波国と讃岐国をほぼ制圧したが、伊予国では有力家臣の戦死や、伊予守護の河野氏の抵抗がありなかなか進まなかった。元親と信長の関係が悪化し、四国征伐軍が編成されると元親は窮地に立たされたが、本能寺の変が起こり信長が死去したため危機を脱した。その後、三好氏や河野氏を撃破し四国をほぼ統一するが、信長の天下統一事業を継いでいた羽柴秀吉による四国攻めに遭い降伏した。秀吉の九州征伐に従軍するが、戸次川の戦いで嫡男の信親を失うと覇気を失い、家臣の反対を押し切って家督を四男の盛親に譲った。小田原征伐、朝鮮出兵においては水軍を率いて従軍している。京・伏見屋敷で死去した。

高いリーダーシップと大きな度量を兼ね備えた武将だったのに、嫡男を亡くしてからは性格が一変、家臣を殺害したり三男の津野親忠を幽閉したりしています。宝物は大きすぎない方がよいのかな、と考えさせられる武将だと思います。


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