毛利 元就
(もうり もとなり)
毛利 元就
投稿日:2017年 7月 30日

安芸国に生まれる。幼名は松寿丸。父の弘元や兄の興元は酒毒のため若くして亡くなった。興元の嫡男・幸松丸が毛利家の家督を継ぐが、まだ幼少のため後見役として元就が補佐に当たった。佐東銀山城主の武田元繁が吉川領へ侵攻すると、毛利軍の大将として救援に向かい、敵の大将・武田元繁らを討ち取る大戦果を挙げた。この戦いは元就の初陣でもあった。まだ幼少の幸松丸が亡くなると、毛利家の家督を継ぎ吉田郡山城に入った。国人領主たちとの関係構築に励み、特に、有力国人である吉川氏と小早川氏にそれぞれ、自身の子を養子に入れ、家督を継がせることで毛利氏の勢力を拡大させた。大内義隆が重臣の陶隆房により殺害されると、元就も義隆派の安芸国人を攻めている。元就と隆房の関係が悪化し、隆房が毛利討伐の兵を挙げると、厳島におびき寄せて奇襲し自害へと追い込んだ。さらに厳島の戦いで衰退した大内氏を滅ぼし、その旧領の大半を得ることに成功した。石見銀山の領有権で長年揉めていた尼子氏も月山富田城にて降伏させた。一領主に過ぎなかった毛利氏を、最終的には中国地方の大大名にまで成長させた元就の活躍は凄まじいとしか言いようがない。

頭を使いすぎてやや電池切れしている様子をイラストにしてみました。