三好 長慶
(みよし ながよし)
三好 長慶
投稿日:2018年 2月 28日

阿波国の生まれ(?)。父・三好元長はその勢威を恐れた主君・細川晴元に煽動された一向一揆によって殺害された。長慶は一揆襲来前に母とともに脱出し阿波で逼塞した。本願寺と協力して晴元と戦ったが、のちに帰参した。やがて摂津守護代となり幕府に出仕し、主君・晴元を震え上がらせるほどの実力を持つようになった。将軍・足利義晴たちが晴元排除のため挙兵すると、長慶はこれに対抗するが敗北を繰り返した。しかし、阿波国から援軍が到着すると形勢は一気に逆転し、義晴たちを近江に追いやった。舎利寺の戦いで義晴方の軍勢に勝利し義晴と晴元の和睦を実現させた。その後、長慶は父の仇である同族・三好政長を討つために挙兵、政長は江口城に籠り六角定頼の救援を待ったが、援軍が到着する前に長慶に討取られた。政長方に与していた晴元は将軍・義晴とその子・義輝を連れて近江に逃れたため、長慶は新たな主君として氏綱を擁立した。近江では義晴が死去し義輝が抵抗を続けていたが和睦した。長慶は御供衆の格式を与えられ細川家の家臣から将軍家直臣に取り立てられた。この後も義輝と争い近江に追いやっているが和睦して帰京させ、以後、幕政の実権を掌握している。長慶の勢力圏は摂津を中心に山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨などに及び、三好家の全盛期を築き上げていた。また、河内国を平定し、大和国北部と伊予東部も支配下に収めた。しかし晩年になると、十河一存の急死や三好実休の戦死などこれまで長慶を支えてきた弟たちの死が重なり、ついには嫡男の義興までもが早世してしまった。心身に異常を来たしていた長慶は居城に弟・安宅冬康を呼び出し誅殺、後悔してさらに病状が悪化してしまい、家督を一存の子・義継に譲り死去した。

権力者だったからなのか、肖像画で描かれている衣装は大変オシャレです。※私のファッションセンスはゼロです。


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