北条 早雲
(ほうじょう そううん)
北条 早雲
投稿日:2018年 2月 25日

 備中国の生まれ。父は幕府申次衆の伊勢盛定。
 塩買坂の戦いで義兄・今川義忠が討死にすると、今川家中で家督争いが発生、関東の犬懸政憲と太田道灌が軍事介入する事態にまでなった。義忠と早雲の姉・北川殿との子・龍王丸は不利な状況を強いられたが、京にいた早雲が駿河へ下向し調停を行い、龍王丸成人まで小鹿範満が家督を代行することで決着させた。
 早雲は京へ戻り将軍・足利義尚の奉公衆となった。範満が龍王丸成人後も家督を戻さなかったため再び駿河へ下向して挙兵、駿河館にいた範満を殺害した。龍王丸は今川氏親と名乗り今川家当主となった。
 実質的な将軍・足利義遐(あしかが よしとお)から伊豆討入りを命じられると、早雲は駿河湾を渡って西伊豆海岸へ上陸、堀越御所に着くと一気に火を放ち急襲、足利茶々丸は逃走し抵抗を続けたものの最終的には討ち取られた。
 早雲は韮山城を拠点として伊豆平定を進め、また相模の大森氏を討ち小田原城を奪取、やがて相模全域の平定に成功した。家督を嫡男・氏綱に譲り、まもなく死去した。

 研究が進んだこともありイメージがだんだん変わってきた早雲ですが、やはり頭が良かったことに違いはなさそうです。ホワイト大企業・後北条氏の礎を気づいた早雲をお手本に、私も一旗揚げてみたいものです。


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