織田 信長
(おだ のぶなが)
織田 信長
投稿日:2018年 2月 4日

尾張国の生まれ。幼名は吉法師。父・信秀が美濃の斎藤道三と和睦すると、その娘・濃姫を娶った。信秀が亡くなると家督を継いだ。しかし弟・信勝と対立し、稲生の戦いが勃発、信長方が勝利した。戦後、信勝を許したが、謀反を企てたため殺害した。駿河の今川義元が尾張国へ侵攻を開始すると味方は劣勢を強いられたが、移動中の今川本隊に正面攻撃を仕掛けて大将・義元を討取り勝利を収めた。稲葉山城の戦いでは道三の孫・龍興を破り美濃国を手に入れた。信長は足利義昭を岐阜へ招いて上洛を開始、南近江の六角氏が抵抗したためこれを破って京入りし、義昭を将軍に擁立した。信長が摂津国へと出陣した隙に本願寺が挙兵、浅井・朝倉氏も近江坂本へ侵攻した。信長は急いで帰還し、比叡山に立て籠もった浅井・朝倉軍と対峙した。しかしその間にも本願寺が伊勢長島の門徒を煽動して一揆を起こさせた。信長は浅井・朝倉氏と和睦し、比叡山延暦寺は抵抗を続けたため焼き討ちにした。甲斐の武田信玄が同盟国の徳川領へ侵攻を開始すると援軍を送ったが三方ヶ原の戦いで大敗した。しかし信玄が病死したため武田軍は撤退した。信長は以前から対立していた将軍・義昭を追放し、浅井・朝倉氏も攻め滅ぼした。長島一向一揆も多大な犠牲を払ったが鎮圧した。武田氏との長篠の戦いでは鉄砲を駆使して大いに打ち破った。紀州で反抗する勢力を一掃するため大軍を率いて出陣、雑賀衆を降して引き揚げた。越後上杉氏で内乱が始まると、これを好機とみて上杉領へ侵攻した。長年争った本願寺とも和睦し、大阪から退去させることで決着した。甲州征伐を開始し、追い詰められた武田勝頼は自害し武田氏は滅んだ。飛ぶ鳥を落とす勢いの信長だったが、中国遠征の準備のため本能寺に逗留していたところ、先に出発していたはずの家臣・明智光秀の襲撃に遭い奮戦したものの衆寡敵せず自害した。

伝信長所用の甲冑が大変美しく一度描いてみたかったので、今回デフォルメではありますが描いてみました。人気のある武将なのでどういったイラストにすべきかとても悩みました。