馬場 信春
(ばば のぶはる)
馬場 信春
投稿日:2018年 1月 3日

甲斐国の生まれ。はじめ教来石景政と名乗った。武田信虎に仕え、信虎追放後はその息子・晴信(のちの信玄)に仕えた。晴信による信濃攻めが始まると、これに参加して武功を挙げた。この功績により、信虎時代に絶えていた馬場氏の名跡を継ぐことを許され、名を馬場信房と改めた。その後も信濃攻めにおいて活躍し譜代家老衆に列せられた。激戦になったことで有名な第四次川中島の戦いでは別動隊の指揮を任されたと伝えられている。武田氏の猛将・原虎胤の隠退により美濃守の名乗りを継承、馬場美濃守信春に改名した。駿河の今川義元が死去するとその混乱に乗じて信玄は駿河への侵攻を開始、信春もそれに従った。駿河侵攻によって北条氏との関係が悪化し、三増峠の戦いが起きると信春は先鋒を任され武功を挙げた。信玄による西上作戦が始まるとこれに参加し、三方ヶ原の戦いでは徳川勢を浜松城下まで追い詰めた。信玄死去後はその息子・勝頼に仕え重臣筆頭として補佐するが、勝頼からは疎まれていたらしい。武田軍と織田・徳川連合軍との間で起きた長篠(設楽原)の戦いでは、武田軍の右翼に配された。味方の軍勢は敵の防御陣をなかなか突破できず、指揮官たちは次々に戦死、次第に戦線が崩れ始めた。いよいよ総崩れとなり退却する勝頼を見届けると、自身は殿軍として追撃してくる織田軍と交戦し戦死した。

私の故郷の近くに諏訪原城というお城の跡があり、その築城者が馬場信春だと伝わっています。昔家族と行ったことがあるのですが、空堀がとんでもなく深く驚愕したことを覚えています。牧之原台地と繋がっているので茶畑を見ながらほのぼのと回れる、おすすめの城跡です。