片倉 景綱
(かたくら かげつな)
片倉 景綱
投稿日:2017年 9月 17日

出羽国の生まれ。父は置賜郡長井庄八幡神社の神職・片倉景重。幼少時に両親が相次いで死去したため、異父姉の片倉喜多(父は鬼庭良直)に養育される。一時、親戚の養子となったが男子が生まれたため実家に戻った。その後、文武に秀でた姉・喜多の影響を強く受けて育った。伊達家城下の米沢で大火が起きた際の功績で伊達政宗の小姓として仕えることとなった。その後、伊達家重臣の遠藤基信の推挙で政宗の近侍となり、のちに重臣となった。人取橋の戦いや摺上原の戦いなど主要な戦いに従軍し活躍した。豊臣秀吉による小田原征伐が始まると、それまで上洛を催促されていたにも関わらず動こうとしなかった政宗を説得し、北条氏降伏前に参陣させ会津領没収のみで事なきを得た。大阪の陣が始まる頃には病床に臥していたため従軍することができず、嫡男の重綱(のちの重長)を参陣させた。陣の終結後、病によりこの世を去った。

内政、外交、謀略と多岐にわたり活躍した景綱ですが、晩年には肥満体になっていたそうで、一説では糖尿病だったのではないかといわれています。生前には政宗から軽い鎧を賜っていたそうです。プヨプヨしたおじさんが軽い鎧を照れながら着る姿を想像して少し笑ってしまいました。イラストは政宗の片目役という設定で描きました。


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